2010年03月17日 23:58
音楽には大きな力がある。
これが私の『音楽』に対する考えです。
私たちが意識する・しないにかかわらず、人間の頭の中では常にあるリズム・ハーモニー・メロディを奏でています。
音楽と自分の中にある感覚・感情がまざりあって、すごい力を生み出すのです。
私たちが生まれてから、いや生まれる前の胎児のときから死ぬまで音楽は常に一緒です。
音楽とはなにも楽器で奏でたり歌うことだけではない。
胎児のときは、母親の心音と自分の心音とのリズムとハーモニー。そして、お腹の外からの呼び声・周囲の音などなど。
音楽は、はじまりの時から私たちと共にあります。
そして、声・言語も音楽の一種であり、言語の種類は何千種類にものぼります。
声の響き・強弱・リズム・抑揚などによる音は言葉の意味を含めた和音となって、心に届いているのです。
日本では昔から「言霊」といって言葉の力を捕らえてきました。
また、自然の波の音・動物や鳥の鳴き声なども1つの音楽といえます。
死ぬ時も最後まで耳は「生きて」いて音楽を聴いています。
こんな話をきいたことはないでしょうか?「生死をさまよった人がその間の出来事を聞いていた。」という話を。
一生の始まりからおわりまで音楽というものに満たされているのです。
「耳の聞こえない人はどうなのよ?」と言う人もいるかもしれませんが、音楽というものはなにも耳だけで感じているわけではないのです。
ゾウはあの長い鼻を使い、人間には聞こえない低音を出すことができます。
そしてそれは象の足裏を通して、10km離れたところのゾウとのやりとりができるといいます。
人間でも和太鼓を聞いたときなどは特に肌で感じることを実感できるはずです。
音楽は五感すべてで感じているのです。
太古、何千年も前から音楽はありました。
それは、神事のとき、葬式のとき、祝いのとき、儀式のとき、または集団行動をとるとき。
これらは何かしらの感情を伴い、必ず音楽というものがありました。
つまり、私たちのDNAには「音楽を聴いて感情を発露する・揺さぶられる」というものがあるのです。
または、あることを本能的にわかっているのです。
悲しいときに音楽を聞いて元気づけられることもあるし、賛歌や宗教音楽を聴くと崇高な気持ちになるし、祭りのお囃子など聞くとついつい気分が高揚してきます。
音楽と感情はつながっているのです。
そして、音楽には想像力を働かせる力もあります。
民俗音楽やクラシックなど特にそうですが、異国の風景・川の流れ・ある物語などなど、私たちの知識を呼び起こさせ新たに再構築し、イメージとして脳に浮かび上がってきます。
聞く音楽によって様々な想像をさせてくれます。
また、音楽には記憶(脳)にもきざまれている。
このような経験はないだろうか?あるとき何気なくかかっていた音楽を聞いた瞬間、まるでタイムスリップでもしたかのように、何十年も前の、場面・風景・感情・においまでもが、バッと思い起こされるという経験を。
私の場合、ABBAの「DANCING QUEEN」を聴くと、いつも中学生の時、夕日が入り込む窓際の勉強机でテスト勉強をしていたことが、質感を伴って思い起こされます。
その他、ボレロ・グローリア・ビートルズ・Kなどいろいろな曲にいろいろな記憶が詰まっています。
音楽には言葉では言い表せれないなにかがあるのです。その音楽と私たちは常に交じり合っているのです。
「音楽」というものに一度気づいてしまったら、もうそれ以前の自分には戻れないでしょう。
素晴しい「音楽」にであったとき世界は変わります。
いままでの人生とは見えてくる・感じてくるものが変わるor広がっていくはずです。
より新しい音楽に出会いたいという終わりのない欲求と共に素晴しい世界を駈けずにはいられないでしょう。
音楽というものは、生涯人生の中にあるといいました。
なら、その音楽とどう付き合うか・どう使うかで一生を左右するといっても言い過ぎではないはずです。
ぜひ、この「音楽」という世界をもう一度認知してみてください。
そこには素晴しい世界があなたを待っています・・・。

これが私の『音楽』に対する考えです。
私たちが意識する・しないにかかわらず、人間の頭の中では常にあるリズム・ハーモニー・メロディを奏でています。
音楽と自分の中にある感覚・感情がまざりあって、すごい力を生み出すのです。
私たちが生まれてから、いや生まれる前の胎児のときから死ぬまで音楽は常に一緒です。
音楽とはなにも楽器で奏でたり歌うことだけではない。
胎児のときは、母親の心音と自分の心音とのリズムとハーモニー。そして、お腹の外からの呼び声・周囲の音などなど。
音楽は、はじまりの時から私たちと共にあります。
そして、声・言語も音楽の一種であり、言語の種類は何千種類にものぼります。
声の響き・強弱・リズム・抑揚などによる音は言葉の意味を含めた和音となって、心に届いているのです。
日本では昔から「言霊」といって言葉の力を捕らえてきました。
また、自然の波の音・動物や鳥の鳴き声なども1つの音楽といえます。
死ぬ時も最後まで耳は「生きて」いて音楽を聴いています。
こんな話をきいたことはないでしょうか?「生死をさまよった人がその間の出来事を聞いていた。」という話を。
一生の始まりからおわりまで音楽というものに満たされているのです。
「耳の聞こえない人はどうなのよ?」と言う人もいるかもしれませんが、音楽というものはなにも耳だけで感じているわけではないのです。
ゾウはあの長い鼻を使い、人間には聞こえない低音を出すことができます。
そしてそれは象の足裏を通して、10km離れたところのゾウとのやりとりができるといいます。
人間でも和太鼓を聞いたときなどは特に肌で感じることを実感できるはずです。
音楽は五感すべてで感じているのです。
太古、何千年も前から音楽はありました。
それは、神事のとき、葬式のとき、祝いのとき、儀式のとき、または集団行動をとるとき。
これらは何かしらの感情を伴い、必ず音楽というものがありました。
つまり、私たちのDNAには「音楽を聴いて感情を発露する・揺さぶられる」というものがあるのです。
または、あることを本能的にわかっているのです。
悲しいときに音楽を聞いて元気づけられることもあるし、賛歌や宗教音楽を聴くと崇高な気持ちになるし、祭りのお囃子など聞くとついつい気分が高揚してきます。
音楽と感情はつながっているのです。
そして、音楽には想像力を働かせる力もあります。
民俗音楽やクラシックなど特にそうですが、異国の風景・川の流れ・ある物語などなど、私たちの知識を呼び起こさせ新たに再構築し、イメージとして脳に浮かび上がってきます。
聞く音楽によって様々な想像をさせてくれます。
また、音楽には記憶(脳)にもきざまれている。
このような経験はないだろうか?あるとき何気なくかかっていた音楽を聞いた瞬間、まるでタイムスリップでもしたかのように、何十年も前の、場面・風景・感情・においまでもが、バッと思い起こされるという経験を。
私の場合、ABBAの「DANCING QUEEN」を聴くと、いつも中学生の時、夕日が入り込む窓際の勉強机でテスト勉強をしていたことが、質感を伴って思い起こされます。
その他、ボレロ・グローリア・ビートルズ・Kなどいろいろな曲にいろいろな記憶が詰まっています。
音楽には言葉では言い表せれないなにかがあるのです。その音楽と私たちは常に交じり合っているのです。
「音楽」というものに一度気づいてしまったら、もうそれ以前の自分には戻れないでしょう。
素晴しい「音楽」にであったとき世界は変わります。
いままでの人生とは見えてくる・感じてくるものが変わるor広がっていくはずです。
より新しい音楽に出会いたいという終わりのない欲求と共に素晴しい世界を駈けずにはいられないでしょう。
音楽というものは、生涯人生の中にあるといいました。
なら、その音楽とどう付き合うか・どう使うかで一生を左右するといっても言い過ぎではないはずです。
ぜひ、この「音楽」という世界をもう一度認知してみてください。
そこには素晴しい世界があなたを待っています・・・。


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