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食-1 いただきます。

2011年04月13日 23:03


突然ですが、ご飯を食べる前の「いただきます」の意味をいままでに習いましたか?

「いただきます」には、アイヌや浄土真宗の考えからとか、神前から下げた供え物を頭の上にいただいてから食べたからとか、色々な説や語源がありますが、あまりにも一般化・習慣化されてしまったため、正しいことはわからないらしいです。

ただ、多くの人は家庭や学校において、『 食材となったいきもの・食材を作った人・食事を作った人に感謝を表すため 』 と習ったのではないでしょうか。


この「いただきます」について色々と言われていますが、私は 「命を、頂く。」 ということへの“感謝” だと思っています。

生き物を殺して、植物を採集して、それを食べることで私は生きている。という感謝とその分を生きるという覚悟を思っているということが大切なのです。

また、「ごちそうさま(ご馳走様)」は、食材の調達や調理に走り回るという意味から、材料を作った人の苦労、材料をとった人の苦労、そして作ってくれた人の苦労への感謝を表します。

「ごちそうさま」は、「いただきます」と同様に「命を、頂いた。」という“感謝”も込めた大切なことです。



飽食の時代といわれている日本では、食べ物への感謝の気持ちが足りないひとが増えています。

食べる動物・植物のことや農家のことを考えれば残すなんてことはありえないと思うのですが、平気で残す人を見るとうんざりします。

なぜ残すことができるのか。

牛や鶏が殺され精肉されているということや農家の人が一年がかかり、またはそれ以上の年数をかけて作られていることを考えていないから残せるのか。

料理を作った人の気持ちを考えることができないのか不思議でなりません。


どうしても現代では、自分で狩猟・収穫しなくて八百屋やスーパーなどに行けば、食材が手に入ってしまいます。

これを悪いことだとは言いませんし、自分で牛を捌け、農業をしろということではないですが、その食材ができるまでのことを知っていなくてはいけないのだと思います。

精肉されたものが売っているので、動物の生命を奪うことで生産されているという事実を認識してないため、牛や豚が大切に何年もかけて育てられ、そして屠殺され、流れな作業で捌かれ、精肉されているということを知らない人も多いのです。

“人は見たいと欲する現実しか見ていない” とは、ユリウス・カエサルの言葉ですが、もしいま食育を叫ぶなら、口に食べ物が入るまで過程をもっと発信していくべきだと思います。

そうすれば、本当の意味で「いただきます」「ごちそうさま」と思えるはずです


最近の親の中には「給食費を払ってるんだから、うちの子にはいただきますを言わせるな!」ということをいう親がいるらしい。

怒りを通り越して呆れてしまう内容ですが、確かに「いただきます」は日本における食事前の挨拶であり、英語などにはないので、「いただきます」を言うかどうかに対しては文句はいえないです。

ただ、食事を摂るということは、命を頂くということであるということは、しっかりと教えないといけない

言葉にすることは大切ですが、重要なのは「いただきます」を言った言わないではなく、“命を頂く”“命を頂いた”ということへの感謝をちゃんと持って食べ物を食べる ということなのです!




私たちは、生まれてから死ぬまで、なにかしらの命をとっていると言えます。

ならば、それに対して感謝の念を持たなくてはいけないです。

これから[食にまつわるetc。]ということで“食”について書いていくうえで、「いただきます」「ごちそうさま」については外せない、始めに書くべきことだと思いました。

色々な記事をこれから書いていこうと思います。

そのとき、この「いただきます」「ごちそうさま」ということは習慣化されていますが、もっとも大切なことで、もっとも覚えておいてほしいことです。

“命を頂く”“命を頂いた”ということへの感謝、食材を作った・食事を作った人への感謝をもって、“食”についてみていきましょう


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コメント

  1. 紅ちどり | URL | Arp8uk.Y

    この記事、ずっとTOPに残しておいてほしいです。
    私たちが普段忘れている「命をいただいて、自分を生かしている」ということ。
    これをたくさんの人が意識しないといけない時代だと思います。
    衣類を作る繊維も、もとは植物だったり動物だったり。
    石油なんかも、大昔の生き物が変化したもの。
    私たちは、たくさんの命のおかげで生きていますね。

    私たちを生かしてくれている、地球に感謝です。

  2. JAKUTAKU | URL | srF/8RA2

    Re: タイトルなし

    >紅ちどりさん
    コメントありがとうございますv-266

    紅ちどりさんのように共感してくれる人がいるとうれしいです^^
    ここ数年、とくにこの“命を頂いて生きている”ということを意識するようになりましたね。
    なにもキッカケはないのですが、食べるということにただ感謝しなくては。と思ってしまいます。

    農家の人は一生懸命、大切に作物を作ってくださるし、牛や豚・魚という生き物を殺してその命を食べているし、それをおいしく食べさせたいという思いで料理を作ってくれる人がいる。
    紅ちどりさんのいうように「私たちは、たくさんの命のおかげで生きて」いるんだなぁと思うと、とても幸せな気持ちになります。

    このような「命をいただいて、自分を生かしている」ことを、もっとみんなにも意識してもらいたいですね^^
    そうすれば、少しは食事情も変わってくるのではないかと思います。

  3. 職人まこと | URL | -

    ゆとり教育ってなんやねん???

    おっしゃる通り食を伝えるには
    欠かせないことだと僕も思いますし、
    『戴きます』 は素晴らしい習慣だと思います

    実は我が家では子供が食べ物を残す際に
    どうしても食べきれないかを確かめた上で
    食べきれないのなら 残す食べ物に
    『残してごめんね』 って言わしています

    正直意味はよくわかっていないかと思いますが
    習慣化していって、jakutakuさんの言うように
    農家の方の苦労や食肉の流れを見せることを
    していけると尚、効果があると思っています

    でも学校ではしっかり噛みながら食べるほど
    昼食時間が確保されていないって話も聞きます

    ゆとり教育っていったい何を言いたいんでしょうかね?

  4. JAKUTAKU | URL | srF/8RA2

    Re: ゆとり教育ってなんやねん???

    >職人まことさん
    コメントありがとうございますv-278

    いやほんと、学校も食育を説くぐらいならもっと食に対して真剣に教えないといけないですよね。
    職人まことさん家のように、食べ物に「残してごめんね」というようにさせることは、命を食べているということを教えるためにはとても大切で素晴しいことだと思います!
    他の家や学校でもぜひやって欲しいことですね^^

    学校で豚やニワトリを飼ってそしてそれを食べるかどうするかを決めるという授業があると聞きます。
    すべての学校でやれる訳はないと思いますが、食は命を食べることだ。というのを実体験できる授業だと思います(トラウマにさせてはいけませんが^^;)
    例え食べなくても、議論をさせるということがすごく大切で、こういう自分の口に入るもののことを考えさせる授業をもっとやってほしいですね。

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