2011年04月10日 22:58
チェルノブイリ原子力発電所事故・東海村JCO核燃料加工施設臨界事故を始めとした原発事故について詳しく知らなかった。
恥ずかしいことに調べようと思ったことさえなかった。
しかし、今回、福島第一原子力発電所事故を通じて、原子力発電というものの怖さを学んだ。
調べれば調べるほど、その怖さを知ると共に、なぜここまで原発が推進されてきたのかと不思議でならない。
原発は、少量の燃料で莫大なエネルギーを生み、CO2をほとんど排出しないクリーンで電気代が圧倒的に安くできる発電であることはわかる。
現代の工業化社会・産業社会において、これほど重要な要点を抑えた発電システムはいまのところ原発しかなく、原発抜きには社会が回らない現状があるのも確かだ。
だが、いままでの原発事故を振り返れば、絶対に推進してはダメだと思わざるを得ない。
他の発電と決定的に違うのが、放射線の被害・放射能汚染があるということである。
ここに、恐怖がある。
主な原発事故であるSL-1事故・ スリーマイル島原子力発電所事故・チェルノブイリ原子力発電所事故・東海村JCO核燃料加工施設臨界事故の4つだけを調べてみても、夜も寝れなくなるような映像・画像がわんさか出てくる。
(いまでも脳裏に焼きついて離れない画像が私には多くある。)
土壌は汚染され、原発事故処理に対応したリクビダートル(事故処理作業者)は数十万人、被災者は数百万人にのぼり、多くの方が亡くなり、後遺症に苦しめられているのである。
そして、これらは何十年・何百年という単位で継続されるのだ。
これまで起きてきた原発事故を参考にしたら、絶対に原発を推進させるという発想にはいかないと思う。
だが、多くの国において、企業・電力会社・政府の黒い思惑によって、民意とは逆に強行的に原子力発電というものは進められてしまった。
現在、世界中に原発は造られ、世界の全発電量の内、約15%を占めている。
これらのことを知ったとき、私は人類の滅亡を危惧してしまった。
なぜならば、この世には「戦争」というものがあるからだ。
“ 戦争はすべての非道を許容する。 ”
大量虐殺しかり、人体実験しかり、神風特攻隊しかり。
戦争中にとられた行為というのは、戦争後に物事の是非が問われるのであって、戦争中はあらゆる非道・暴虐が“一般論”に成り下がり、“正義”の名のもとに執行される。
戦争に勝つためには、どんなこともするのが人間である。
それならば、戦争において、原子力発電を攻撃するという発想に帰着することはそう難しい話ではない。
戦争に負けそうな国はなんでもやる。
先進国VS発展途上国・後進国という関係でなくても、もし一撃で相手の国を疲弊させるものがあるとしたら、それは原発への爆撃・ミサイル攻撃である。
そう考える国は出てくるとはずだ。
現在、核兵器の撤廃が叫ばれているが、(反感を買うかもしれないが)もし戦争になったとき、少ししかその効果はないと思う。
原発がある国にしか攻撃できないこととは違い、核兵器は狙ったポイントにダメージを与えることができるという特徴はある。
だが、先進国は核兵器を持つのと同時に、原発もあるところが多い。
核兵器を持っていない発展途上国・後進国でも、モンロー効果を利用した爆弾(建物の表面でなく、内部の破壊を目的とした爆弾)は簡単に手に入れることができるのである。
それならば、核兵器を持つ先進国と原発を破壊できる発展途上国・後進国とが戦争をしたとしても対等になってしまう。
戦争で恐怖の対象となるのはなにも核兵器だけではなく、原子力発電もその対象になるのである。
それに加え、原子力潜水艦・原子力空母というものもある。
もし戦争になれば、これらも当然攻撃対象になる。
平時の現在でも事故などによって、 原子力潜水艦・原子力空母がいくつも海に沈んでいるのである(もちろん日本の海にも)。
戦争になれば、比べものにならないくらいの数の原子力潜水艦・空母が破壊され、放射能をばら撒く物体になってしまうのだ。
今回の福島第一原子力発電所事故は地震によって起こった。
天災が起点だが、本質は人災が原因である。
少しのミスでも、取り返しのつかない状態になるのが原発。
原子力発電は制御できなくなったら、どうしようもできない代物なのである。
もしこの先、戦争or第3次世界大戦が起こったら、確実に核兵器・原子力発電所・原子力潜水艦・原子力空母などといった原子力が絡んでくるはずだ。
そうなれば、我々は原子力というものを制御しきれなくなるだろう。
どうしても次の大きな戦争が起きたときが人類の滅亡するときなのだと思ってしまう。
だからこそ、原子力発電をどうにかして減らしていかなくてはいけないのだと思う。
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