2010年12月21日 23:14
養生訓 - 第1巻より
ある人が疑っていった。
「養生を好む人は、ひとえに我が身を重んじて、命を保つことだけを専念している。しかし、君子は義を重んじるものだ。だから、義にあたっては身を捨て、命を惜しまず、危を見ては命を投げだし、難に臨んでは節操のために死ぬのである。もし、我が身だけを重んじて、少しの髪や皮膚までも、損なったり傷つけたりしないとするならば、ここという大事な場面で命を惜しみ、義を失うことになろう」と。
これに答えよう。
およそのことには、平時と変事がある。平時においては通常どおりに事を行ない、変に臨んでは変則でことにあたる。義に従うべきときには義に従う。平時に身を重んじて命を保つのは、平時の常態である。ここ一番という忠義を尽くすべきときに、命を顧みないで捨てるのは、変事の義なのである。平常時と非常時は違うのだ、とわかっていれば、このような疑問は湧かないであろう。
君子の道は、時宣(じぎ)にかない、変に従うのをよしとする。たとえば、夏は単衣(ひとえ)を着て、冬には重ね着するようなものである。一時のことを常のことだと思って、一つのことにこだわっていてはいけない。
ことに、平時に身を養い、堅固に保っていなければ、いざというとき強く戦いに励んで命を捨てることはできない。体が弱くては不可能なのである。したがって、平時によく“気”を養っておけば、変事に臨んだときに勇気も湧いてこよう。
口語 養生訓 - 原著:貝原益軒 訳註:松宮光伸
なぜ、養生をするのか?体を労わることが養生なのか?
それに対する貝原益軒の答えのひとつが書いてあります。
現代の日本では、命をかけて人のために行うことは少ないと思います。
自衛隊や警察・消防の人たちくらいでしょうか。
「義のために命をつくす」とはいかないまでも、ここでは自分の「仕事」に置き換えて考えていただければいいと思います^^
仕事の場面で、「なにかをしよう!」「新規のプロジェクトをまかされた。」「問題が発生した。」などいつもと違うことを行うとき、体が動き、頭がしっかりと働かないといけません。
先ほども書きましたが、自衛隊・警察・消防の方達は日々訓練を繰り返し、ある一定の身体の健康を保つことで緊急事態に対応することができます。
スポーツ選手などもそうです。格闘技やモータースポーツ・アルピニストなど命の危険があるものほど、徹底的な健康管理をしています。
そこまでやっていて、はじめて危険を回避し、成功しています。
日々養生を心がけ、健康でいれば、なにかを成し遂げようとするときに身体はしっかりと動いてくれる。
養生は、なにかを成し遂げようとするときに必要なことなのです!
なにかを成し遂げるため・予定外のことが起きたときのために、日々の養生を怠らないようにしましょう( ^∞^)ノ
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