科学盲信者たち

2010年02月22日 23:29

 現在社会の多くの人が、『科学』という名の宗教に染まってしまっている。

多くの人が、ある出来事や商品に対して「科学的に根拠がある。」「科学によって証明された。」などと聞くと、意味も分からないのに納得したり、信じてしまう。
逆に、科学的に立証されてないと信じようとはしないこともあるだろう。

 しかし、『科学』という言葉だけでなんでもかんでも正当化されたり、信じ込んでしまうのはいかがなものか?

はじめに書いときますが、私は科学というものを否定する気は毛頭ないし、むしろもっと発展しろと思っている側の人間。
私は科学の授業は大好きだったし、今でも物理学や化学などについて知ることも好きだ。
なにより生活に非常に役に立っているから科学は人間に必要だと考えている。

 ではなぜこんなことを書くかというと、科学は間違うこと・わからないこともあるし、疑似科学というものもあるのだ!ということがいいたいからだ。

 『科学』はついつい都合がいいからすぐに何も考えないで納得してしまうが、本当はよくわかって使うものだと思う。
テレビやパソコンの構造を知らないといけないという意味ではない(笑)。騙すため、納得させるための詭弁として使われることがあるからだ。

 また、科学的な根拠がない=効果がない・信用でいないという見方もどうかと思う。

 科学は「今のところ正しい(正しい可能性が高い)」という仮定のものであり、未来には否定されたり、新たなことがわかるもの。
天動説のように当たり前だったことが後世では違うことがわかったり、政治や戦争・TVでは間違ったものをホントのように言われることもあるのだ。何が科学的に正しいのかは、実は結構難しい問題なのだ。


 こんなことをモヤモヤと考えているうちに出会った疑似科学という言葉と竹内薫さんの書籍。
疑似科学は、コレを読めば分かってもらえると思うが、ようするに「科学的方法に基づく、あるいは科学的に正しいと認められている知見であるかのように誤認されているが、実際にはそうではないもの」だ。世の中のいたるところでこの疑似科学が使われていることには心底驚いた。

そして竹内薫さんのなぜ「科学」はウソをつくのか99・9%は仮説 -思いこみで判断しないための考え方-を読んだ時はもやもやがスッキリと晴れわたっていくような気持ちだった。実にこの科学というものがどういうものなのかということがわかりやすく書いてあって、私の世界観が変わったことだった。


 っっと、話が逸れてしまった・・・。

が、私がいいたいのは「盲目的に科学を信頼しないことが大切だ。」ということ。

かくいう私も、実は科学と聞くと信じやすいほうなのだ(笑)
しかし、私は科学がウソをつくことを知っている。知っているから、疑って見るようにしているし、信用しすぎないようにすることができている。

大切なのは、調べたり、知ったり、見極めるようにしなければいけないことではないでしょうか・・・。

みなさんもどうか科学盲信者にならぬよう気をつけてください。。。


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日本の家庭料理

2010年03月14日 19:10

05-0351.jpg

食べ物を食すことが趣味の1つである私としては、日本に生まれてきてよかったなぁ~
と常々思っています^^

なぜかと言うと、
日本の家庭料理ほどレパートリーが豊富な国はない!!
と思っているから( ・∀・)ノ

確かに、どこの国にいっても街中を歩けば、日本料理をはじめイタリアン・フレンチなどなど各国の料理店があります。
しかし、日本の家庭では普通に各国の料理が出てくるからすごい!
(しかも腕の良し悪しにかかわらず^^)

 日本 ; おにぎり・味噌汁・煮物・など
 中国 : チャーハン・ラーメン・餃子・マーボーなど
イタリア: パスタ・ミネストローネなど
ロシア : ボルシチ・ビーフストロガノフなど
インド : カレーなど
アメリカ: ホットドック・ハンバーガーなど
ドイツ : ハンバーグなど
ベトナム: 生春巻きなど

軽くあげただけでもこれくらい。う~ん、すごい!
しかもこれくらいなら、普通に家で作られているからおもしろい(笑)

ヨーロッパやアメリカとかだと大体家庭料理は決まっているらしい(私は海外旅行に行ったことがないためわかりませんが)から、よく飽きないなぁ~と思ってしまう。

明治以降の文明開化に伴って西洋化が進んで食文化も大きく変わりましたが、私としてはとてもよかったと思ってしまいます♪
たとえ、洋食化で病気が増えようとも(笑)


ホントに日本に生まれてよかったーー^^
これからもこの良き食文化が発展しますように(笑)
  

 日本の家庭料理は世界一ィィィィィィィ!!







※蛇足…

 飽食の時代といわれている日本では食べ物への感謝の気持ちが足りないひとが多くいます。
食べる動物・植物のことや農家のことを考えれば残すなんてことはありえないと思うのですが、平気で残す人を見るとうんざりします。
なぜ残すことができるのか。
牛や鶏が殺され精肉されているということや農家の人が一年がかかり、またはそれ以上の年数をかけて作られていることを考えていないから残せるのか。
不思議でなりません。
私も確かに食べれないものもあります(コオロギとか…)から、胸を張って言える訳ではないのですが、嫌いなものでも、満腹でも出されたものは食べるようにしませんか?

以上、常々思っていることの吐露でしたm(_ _)m


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『音楽』の世界

2010年03月17日 23:58

音楽には大きな力がある。

これが私の『音楽』に対する考えです。
私たちが意識する・しないにかかわらず、人間の頭の中では常にあるリズム・ハーモニー・メロディを奏でています。
音楽と自分の中にある感覚・感情がまざりあって、すごい力を生み出すのです。


私たちが生まれてから、いや生まれる前の胎児のときから死ぬまで音楽は常に一緒です。

音楽とはなにも楽器で奏でたり歌うことだけではない。
胎児のときは、母親の心音と自分の心音とのリズムとハーモニー。そして、お腹の外からの呼び声・周囲の音などなど。
音楽は、はじまりの時から私たちと共にあります。

そして、声・言語も音楽の一種であり、言語の種類は何千種類にものぼります。
声の響き・強弱・リズム・抑揚などによる音は言葉の意味を含めた和音となって、心に届いているのです。
日本では昔から「言霊」といって言葉の力を捕らえてきました。
また、自然の波の音・動物や鳥の鳴き声なども1つの音楽といえます。

死ぬ時も最後まで耳は「生きて」いて音楽を聴いています。
こんな話をきいたことはないでしょうか?「生死をさまよった人がその間の出来事を聞いていた。」という話を。

一生の始まりからおわりまで音楽というものに満たされているのです。

「耳の聞こえない人はどうなのよ?」と言う人もいるかもしれませんが、音楽というものはなにも耳だけで感じているわけではないのです。
ゾウはあの長い鼻を使い、人間には聞こえない低音を出すことができます。
そしてそれは象の足裏を通して、10km離れたところのゾウとのやりとりができるといいます。
人間でも和太鼓を聞いたときなどは特に肌で感じることを実感できるはずです。
音楽は五感すべてで感じているのです。


太古、何千年も前から音楽はありました。
それは、神事のとき、葬式のとき、祝いのとき、儀式のとき、または集団行動をとるとき。
これらは何かしらの感情を伴い、必ず音楽というものがありました。
つまり、私たちのDNAには「音楽を聴いて感情を発露する・揺さぶられる」というものがあるのです。
または、あることを本能的にわかっているのです。
悲しいときに音楽を聞いて元気づけられることもあるし、賛歌や宗教音楽を聴くと崇高な気持ちになるし、祭りのお囃子など聞くとついつい気分が高揚してきます。
音楽と感情はつながっているのです。


そして、音楽には想像力を働かせる力もあります。
民俗音楽やクラシックなど特にそうですが、異国の風景・川の流れ・ある物語などなど、私たちの知識を呼び起こさせ新たに再構築し、イメージとして脳に浮かび上がってきます。
聞く音楽によって様々な想像をさせてくれます。


また、音楽には記憶(脳)にもきざまれている。
このような経験はないだろうか?あるとき何気なくかかっていた音楽を聞いた瞬間、まるでタイムスリップでもしたかのように、何十年も前の、場面・風景・感情・においまでもが、バッと思い起こされるという経験を。
私の場合、ABBAの「DANCING QUEEN」を聴くと、いつも中学生の時、夕日が入り込む窓際の勉強机でテスト勉強をしていたことが、質感を伴って思い起こされます。
その他、ボレロ・グローリア・ビートルズ・Kなどいろいろな曲にいろいろな記憶が詰まっています。

音楽には言葉では言い表せれないなにかがあるのです。その音楽と私たちは常に交じり合っているのです。


「音楽」というものに一度気づいてしまったら、もうそれ以前の自分には戻れないでしょう。
素晴しい「音楽」にであったとき世界は変わります。
いままでの人生とは見えてくる・感じてくるものが変わるor広がっていくはずです。
より新しい音楽に出会いたいという終わりのない欲求と共に素晴しい世界を駈けずにはいられないでしょう。

音楽というものは、生涯人生の中にあるといいました。
なら、その音楽とどう付き合うか・どう使うかで一生を左右するといっても言い過ぎではないはずです。
ぜひ、この「音楽」という世界をもう一度認知してみてください。
そこには素晴しい世界があなたを待っています・・・。


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人類の最後は…?

2010年04月10日 01:17

人間は進化しているのか?
なんとなくこんな疑問が浮かんできた。

ダーウィンの進化論よろしく、いまこうして生きているものは環境の変化に適応し、進化してきたものだ。

古代エジプトやメソポタミヤ文明の頃から、現代の人間は進化してきているのだろうか?
別に耳が大きくなったわけでもなく、肌が強くなったわけでもない。からだはあまり変わっていないのではないか?
そんな素朴な疑問が脳をかすめた。

その疑問に対して私なりに考えてみたところ、からだは進化してはいないという結論にいたった。
ただ、人間の進化として「脳」の進化、言い換えるなら「科学」の進化はあると言えるかもしれない。。。



産業革命前後、爆発的な進化を遂げ多くの発明がされ、暮らしは変わった。
暮らしが豊かにラクになるよう、今でもその進化は脳の進化によって続いている。

しかし、暮らしが豊かにラクになるようなものが多く発明され続けるが、それに対してからだはついていけるのだろうか?

200年前にはありえなかった、100㎞/hを超える世界・無重力の世界・1日中温度が一定の世界・一瞬で遠くの人と話せる世界・夜でも日中のように過ごせる世界…。
たった200年で世界は未知のものになっている。


生き物は、大きな環境の変化に適応するために突然変異をする。
生まれる時に突然変異するのだから、その回数が多いほどよく変異する。

人間は、20歳で子どもを生んだとする仮定すると、200年で10回程度世代が新しくなっている。
たった10回程度でこの未知の世界に適用できているのだろうか。

パソコンをみると、いまの進化の速度が恐ろしい速度で進んでいるなと思う。
日進月歩で開発が進み、たった一年で前のパソコンとは大きく違っている。
また、3Dテレビや電子書籍・介護ロボットなど多くの新しい発明がでてきている。


人口はいまも増え続けていて、脳の進化も続いている。
これからも新しいものが増え、脳の進化はますます進んでいくだろう…、ただ人間のからだをおいて。


いまでもチラチラと未知の健康被害、科学によってもたらされる病気がみえてきているような気がするが、もっと先の未来、脳(科学)とからだの差が大きくなったとき、人類の最後、終末のラッパが吹かれるときかも知れません・・・。






と、フッと浮かんだことを書いたので、なんだかわかりにくい文章になってしまいました(笑)
ひとりごとのようなものなのであしからず。

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マスメディアについて

2010年05月11日 23:58

マスメディアとは、不特定多数の人々に告知するために大量の情報を発信する媒体及び方法(新聞・テレビ・ラジオなど)のことで、我々の生活には必要なものである。

しかし、不特定多数に大量の情報を発信するのだから、受け手である我々は自分で情報を判断して受信しなくてはならない。
情報をすべて受け止めてしまうのは、とても危ないのである。


さて、このマスメディアの情報に対して私は、平面的な情報だと考えている。

ある物事のすべての内容を“四角錐”だとすると、見る角度によって色々な形にみえる。
真横から見れば三角形だし、真上から見れば四角形だろう。
マスメディアは、このどこからか見た形(平面図)を情報として発信している。
つまり、ある物事の「一面」でしかないのだ。
Z5.jpg
“四角錘という情報を、“三角形”として発信するか、“四角形”として発信しているかで受け取りかたはまるで違う。


例えば・・・
 ある食べ物が、血圧を下げるのに効果がある・コレステロール値が下がるなんて大々的に採りあげているときもある。しかし、この食べ物は食べ過ぎるとこのような症状が出るから注意しましょう。この食べ物と薬と一緒にとると相互作用により薬害や中毒が起こる。ということを一緒に報道せず、良い“面”だけを報道するときもある。

例えば・・・
 中国や韓国が捨てたゴミが海流に乗って流れてきて、日本のある島の海岸に溜まってしまっている。そのゴミを取り除くために地域の人やボランティアの人たちがたくさん集まって、1日でこんなにきれいになった。というドキュメンタリーがあるが、この中国や韓国から流れてきたことばかり強調して、日本のゴミが同じようにハワイのほうに流れて溜まっているところまではやらない。ハワイの人がどう困っていて、日本はどんな取り組みをしているのかまではやらないのである。
たしかに、みんなで浜辺をきれいにしたことはとても大切なことで素晴しいことだ。だが、そこまでやるなら、「日本のゴミもハワイの方にいっているから、海や川にものを捨てるのをやめましょう」と言えば、より環境という面での情報発信になるのに、一方的な“面”しか報道しない。

例えば・・・
 殺人事件が起きた時、まだ容疑者の段階なのにまるで犯罪者のように報道し、その人の過去を根掘り葉掘り調査して少しでも悪そうなところがあればそこだけをピックアップする。そして、無罪だったり冤罪だったりすると、謝罪もなくコロッと態度を変えて警察を非難する“面”もある。
あくまで容疑者なのだから、事件の情報だけで個人を特定し過去を報道する必要はなく、ただ視聴率のためにやっているように思えてならない。

例えば・・・
 75%の人が賛成といいました。などという“面”を放送する時がよくある。しかし、調査した人数はどれだけなのか(10人なのか、1万人なのか)、地域はどこなのか(区なのか、全国なのか)、年齢はいくつなのか(主婦だけなのか、成人以上のすべてなのか)などなど色々な条件を提示せずにただ75%という数字だけあたかも大衆の意見のように言うのである。
もしかしたら、地域を変えたら25%しか賛成がいなかったという“面”もありえるし、残りの否定派の人々の意見がどうなのかという“面”もあり、75%の人が賛成といいましたというのはひとつの“面”でしかにのである。

例えば・・・
 戦争のときも自国・他国・第三国などでも異なる“面”を主張している。

ここに挙げたのはほんの一部の例えである。
だが、マスメディアは、平面的な情報だと言った意味が少しはわかっていただけただろうか。

一面しか見ないというのは恐い。
正面からみたら同じ三角形でも、見方を変えてみたら四角錘でも違う形をしているかもしれない。
Z6.jpg
平面的に捉えた情報は、物事のすべてではないのである。


すべてが平面的な情報といっているのではない。
色々な面からみた情報を発信するマスメディアもある。
しかし、注意していなければ、つい平面が物事のすべてだと思ってしまう。
これはTV・雑誌・新聞などでも気をつけてみると、平面がすべてだと感じていたことがわかるはずだ。


マスメディアの情報は平面的な情報であることが多く、このことはあまり変わらない。
平面的に伝えるほうが内容を絞りやすく、大衆に伝えるメッセージ性が高くなるからだ。

だから、我々は、マスメディアの情報に対して100%信じることをしないようにしなければならない。
どこかで疑いを持っておかなくてはいけないのである。

物事は常に立体である。
ある一面からの情報だけですべてを判断することはできないのである。


ここで私が言いたいのは、マスメディアが悪いと言うことではなく、常に情報が平面であることを理解しながら立体を想像することをしなければならないということだ。
物事の一面だけで判断を下さないようにしなければいけない。

自分なりの意見・基準を持ちながらマスメディアの情報に接し、100%信じない部分を持って自分なりに情報を吟味するようにしなければいけないのである。




以上、私的思考/主張/感想 でした。
長々と書いてしまいましたが、最後まで読んで下さった方こんな文章に付き合っていただき、ありがとうございましたm(_ _)m

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目にみえない小さなものたち

2010年06月09日 01:11

私たちがこうやって生きているのも、微生物や菌などがいてくれるからだ。

からだの中はもちろん、身体の外にもいる約100兆の菌たちと共存しながら私たちは生活している。
身体に必要な微生物や菌もいれば、害をなすものもいるし、害をなすものから有効な薬が作られたりと、人間はいままで肉眼ではみえないものたちと密接な関係にある。


COP10(生物多様性条約第10回締約国会議)が名古屋で開かれるために、最近名古屋にいると生物多様性についての特集記事や番組をよく見る。
それを見ていると絶滅危惧種などの話がよく出てくるので、ふと思った。

「生態ピラミッドの底辺の底辺である微生物や菌たちはどうなっているのか?」と。

微生物や菌たちは宇宙から深海までと生活圏はとても様々で、ものすごい数存在しているだろうし、私たちが発見しているものはまだまだ少数に過ぎないかもしれない。
それだけに、もし微生物や菌たちがいまどんどん絶滅していたとしても私たちは把握することができていないのだ。

肉眼ではほとんど見えないのでわたしたちが気にかけることはあまりない。
しかし、もし絶滅しているものが出てきていたとしたら、わたしたちに必ず影響がやってくる。

つい膨大な数を想像し、絶滅なんて考えたこともないが、わたしたちは天然痘を根絶においやった(自然界においてウイルス自体存在しないものと人間がかってに決めたことではあるが。)訳だから、絶対に絶滅しないなどとはいえない。

私たちとは切ることのできない関係だけにその影響は大きいし、どうなるか予測できないだろう。

現に、いま作られている新薬のなかには新たに発見された微生物や菌たちを使って作られているものもあるのだから、絶滅したものが不治の病の特効薬になりうるものだったら、その損失は計り知れないものになる。
それだけでなく、絶滅したことで新たな不治の病や奇形などが出てくるかもしれない。
そうなったら、人間という種に関わってくる。


わたしたちは、生態ピラミッドの上の方を気にしやすいが、目にみえないものたちもとても大切なものだ。
繊細で緻密なバランスと関係があるから、どっちが重要でなく、どっちも重要なのだ。

目にみえないものを含めた生物多様性を考え、地球の環境を考えていかなくてはいけないのだろう。



地球が出来てから56億年あらゆる環境を過ごしてきただろうから、そんなことはないと思うが、なんとなくこんなことを考えてしまった今日この頃でした・・・m(_ _)m。





& 今回は微生物や菌などということで書きましたが、絶滅していたとしても私たちは把握することができていないものというのは昆虫や植物なども同じことです。
目にみえていないところで起こっているだけにとても恐いことです。
みなさんも環境に目を向けてみて、自分のできるところから環境に関わっていきませんか?
「情けは人のためならず」ではないですが、結局人間に帰ってくるのだから。


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女性が長生きなわけ…

2010年09月13日 23:59

日本の平均寿命は男性79.0歳・女性86.2歳。

「女性は男性より長生き」というのはよく聞くと思います。


では、女性のほうがなぜ長生きなのか?


女性ホルモンは、動脈硬化を引き起こす中性脂肪やコレステロールが上がりにくく、脳血管疾患や心疾患といった命にかかわるような重大な病気に男性よりかかりにくいとか・・・

女性は男性よりこの基礎代謝が低くなっていて、少ないエネルギーで効率よく生きていくことができるからとか・・・

女性のほうが男性より病院の受診率が高いからとか・・・

女性は染色体XX、男性は染色体XYだが、病気に対する抵抗力などを司る染色体がX染色体にあり、X染色体を一つしかない男性は本来女性より病気に弱いとか・・・



このように女性が長生きの理由は色々あり、複雑な要因によって決まっていると思いますが、

私は女性のほうが長生きな理由のひとつは

    「女性は料理を作るから!」

だと思っています^^


さて、こんなことを言うと多くの女性と一部の男性から「好きで作っている訳じゃない」と怒られるかもしれません^^;


しかし、よく考えてみてください。


料理をつくるということは、まず当然自分の嫌いなものは食卓には出ません。

味付けや量もだいたい自分の思い通りです。

そして、料理の材料を各時点で今日の食べるものが想像できていて、それを食すわけです。

もちろん、これらは料理を作る人の当然の権利です^^

しかし、自分のイメージしたものを食べるというのは、ストレスも少なくとても心と体にイイことです


さて、では旦那さんの方はどうかというと…

帰宅中、「今日は焼きナスだったらいいなぁ」などと思ってしまうと、もう胃袋はナスのかたちをしています。
そして、帰ってみると酢豚で、まったく胃袋のかたちとちがうもの…。

しかし、「酢豚かぁ」と言ようものなら、どんなことになるかわかったものではないので(笑)、「今日の酢豚うまかった!!」と(本心はさておき)言うわけです。

さらに、残すなんてもってのほかな訳だから、太ろうが出されたものは食べきっているのです。



・・・というように、ちょっと大袈裟に書きました(笑)が、大なり小なりあれ、一部の家庭を除き、こんな感じではないでしょうか^^

これらは料理のつくる人の当然の権利であり、毎日料理を作ることの大変さを考えれば、食べる側は文句も言わず、残さず、おいしく食べるのが責務でしょう^^

しかし、このようなことが一度ならいざしれず、40年・50年ともなれば、明確な差が男女間で出てくるのでは・・・と私は思うわけです(笑)



そして、もうひとつ料理を作ることのよいことは、頭の体操になること。

料理は、想像力・判断力・計画力・段取り能力・手先をつかうことなど、色々と脳にいい影響を及ぼすことが多いのです!
脳を使うことは、長生きのひとつの要因です。

それを毎日続けることは、男性よりもぼけにくいだろうし、カラダにもいいと思います。




女性が長生きの理由は色々ありますが、「女性は料理を作るから!」 というのがかってながら私の主張です(笑)

以上、私的思考/主張/感想 でした^^

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